木材開発・輸入商社の社員として、1976年から主にインドネシアで日本の合板・製材向けの原木を探し回り、満船ベースの数量(およそ6000m3)で日本に輸出する仕事に携わってきました。 地方に行くと、まだ道路が発達しておらず、川が最も重要なインフラでした…
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